鎌倉五山とは |
・鎌倉五山制度は、もともと中国南宋時代の官寺制度を模して鎌倉時代末期に北条氏が取り入れて制定したもので、鎌倉の禅寺を五つに格付けして、住職を任命し順次上位格の寺に昇進させる人事権を幕府が握った制度です。 |
・一位から順に、建長寺、円覚寺、壽福寺、浄智寺、浄妙寺と定められ、これにより年々勢力を増す禅宗寺院を幕府の管理下に置き、その力を執政に利用しようとしたものです。 |
・京都にも後に足利氏が定めた京都五山があり、鎌倉にならった制度で目的は同じです(京都五山: 天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)。 |
・ また、鎌倉に室町時代、尼僧の五山(尼五山)もおかれましたが、当時第二位だった東慶寺を残して他は廃寺になってしまいました (尼五山: 太平寺、東慶寺、国恩寺、護法寺、禅明寺)。
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2016.3.1 |
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第一位建長寺
巨福山建長興国禅寺
こふくさんけんちょうこうこくぜんじ
1253年(建長五年)、鎌倉幕府第五代執権北条時頼が、33歳で宋から来日した蘭渓道隆を開山にして
建立した日本で最初の禅寺である。時頼以降の北条氏や足利氏もこの寺を保護し、全国に禅宗を広めた。

建長寺境内図
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総 門
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仏 殿 |

ご本尊
地蔵菩薩坐像 |
第二位円覚寺
瑞鹿山円覚興聖禅寺
ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ
1282年(弘安五年)、鎌倉幕府第八代執権北条時宗(建長寺建立の執権時頼は父にあたる)が、
文永・弘安の役で戦死した兵士達の菩提を弔うため、宗の禅僧・無学祖元を開山にして建立した。

円覚寺
境内配置図 |

山 門 |

仏 殿 |

ご本尊
宝冠釈迦如来像 |
第三位壽福寺
亀谷山壽福金剛禅寺
きこくざんじゅふくこんごうぜんじ
1200年(正治二年)頼朝の妻、北条政子が栄西を開山にまねいて建立した。この地はかって源義朝の
屋敷跡があり源家父祖伝来の土地として、壽福寺建立は頼朝の遺志をかなえることであったと云う。

壽福寺総門 |

総門から中門
に至る参道 |

中門に掲げられる
「山谷亀きこくざん」
の表示 |

中門から望む
仏殿
(立入禁止) |
第四位浄智寺
金宝山浄智寺
きんぽざんじょうちじ
1281年(弘安4年)時頼の夫人と息子師時が、時頼の三男宗政を弔うために南洲宏海を開山に建立した
臨済宗円覚寺派の禅寺で、1356年の火災以降1923年(大正一二年)関東大地震でほとんどが倒壊した。

石段からのぞむ
総門と鐘楼門
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二階に花頭窓
のある唐様の
鐘楼門 |

総門そばにある
鎌倉十井のひとつ
「甘露ノ井」 |

春の鐘楼門 |
第五位浄妙寺
稲荷山浄妙寺
とうかさんじょうみょうじ
1188年(文治四年)、頼朝の重臣足利義兼が退耕行勇を開山として建立した臨済宗建長寺派の古刹である。
行勇は栄西の門下で臨済禅を修め、頼朝や政子、実朝も帰依したという高僧で、中興開基は足利卓氏である。

浄明寺境内図 |

総 門 |

本 堂 |

喜泉庵からのぞむ
枯山水 |
鎌倉五山の訪れ方 |
朝から夕方までの一日コースでこの五山に的をしぼって訪れて見ましょう。
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・円覚寺開門8時頃にあわせスタート。円覚寺はJR北鎌倉駅の真ん前にあるので、その後鎌倉街道を鎌倉方面に徒歩で 浄智寺⇒建長寺の順で訪れれば良い。ただし円覚寺と建長寺は境内も広く伽藍も壮大なので時間を見たい。 |
・建長寺の後そのまま鎌倉街道を八幡宮方面に進み小町通りか若宮大路の適当な店(高いけど!)でお昼にしましょう。 (お弁当持参がお勧めです!) |
・小町通りからJR線路沿いに北鎌倉方面へ徒歩10分位で壽福寺へ到着します(道は判りにくいので聞いた方が良い)。
・壽福寺は中門から中は非公開のため外回りをみるだけなので、物足らない人は隣の英勝寺を見ても良いです。 |
・その後鎌倉駅まで戻り浄妙寺へ向かいます(やはり駅までの道は聞いた方が良い)。
・浄妙寺は駅から歩くと20〜30分かかるので、鎌倉駅東口真ん前の京浜急行5番バス乗り場から金沢八景行きか太刀洗い行きかハイランド行きで、浄妙寺で降りる(10分位、200円)。 |
・浄妙寺は16時頃閉門なので、それまでに五山めぐりが終わるように行動しましょう。 |
帰りは道の反対側のバス停から鎌倉駅まで戻り、五山めぐりは終了です。 |
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